センダイ



地震以来はじめて仙台の実家に帰って、家族が助かってたのはかなりラッキーなことだったんだということがわかりました。以下は、母が会社の会議?(どんな会議だよとは思うけど、、)で発表した際の原稿だそう。

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千年に一度と言われている貴重な体験をした者として、津波の恐ろしさを子や孫にそして友人知人に話さねばと思っている次第です。本日はこのような機会をいただき有難うございます。  


3月11日の東日本大震災の時は皆さんどちらに居られましたでしょうか、まずは身の安全を確保され、家族の安否を確認されたことと思います。 


私は、産業道路多賀城市役所に向かって車を走らせていました。赤信号で停車した時に地震に遭い、今までに経験したことのない揺れで、いったいどうなるんだろうと思い怖かったです。地震が収まると信号がついてないのに、一斉に走り出したので私も走らざるをえなかったのでアクセルを踏んだところ、子供から電話があって取らないと思い広い駐車場が見えたので駐車しましたが切れてしまいました。その後何度もかけましたがつながりませんでした。支店長に電話して帰ろうと思いました。津波警報が出ていましたから、これから海の方には行きたくて、でも電話はつながらなかったです。私が無事であることを家族に知らせねば思い、171に電話し自宅の電話番号を入力しましたが災害区域外とのこと、そうだメールだと思い試みましたが送れなかったです。何かあったら周りの人たちについて行こうと思っていましたが、状況がわからなくって、怖くて動けなかったのです。この状態が続くようなら4時になったら帰ろうと思っていました。そしたら私の右斜め後ろに、白いライトバンが急停車し、うぐいす色の作業着を着た男の人が二人降りてきて海に向かって「ヨシャ」って感じで立ったので、これから何かが起こるぞと思いました。周りの人たちを観察してると、ざわざわしてきたんですね、そしたら「津波だ」との声、「嘘でしょう」と後ろを振り返るとジャスコの駐車場を波が不気味に近づいてきて、それ「逃げろ」とエンジンを切って鍵を抜いたのですが、こうゆう場合鍵をつけるものか一瞬迷いましたがどうでも良いと思いポケットに入れ走り出しました。「マジデー」って言葉がピッタリだなあと思いながら走っていました。この騒ぎが収まったら車を運転して帰ろうとこの時点までは思っていました。45号線にたどり着いた時には、水が足元まで来てて、急いで歩道橋に駆け上って下を見たら、車が走っていたであろう道が津波に「あっと」いう間に飲み込まれてしまいました。どこかで「逃げろー」と大声で叫び続けている人がいました。その後歩道橋にすさまじい音でいろんな物がぶつかってきて、怖くって怖くって耳を抑えてしゃがみこんでいました。「お願いだから止めてー」と心の中で叫んでいました。橋が流されたら私たちどうなるんだろと思い恐怖でした。静かになったので下を見るとそこは、今までに見たこともない光景が広がっていました。見渡す限りにごり水で溢れていました。余震が何度となくあり雪がぼたぼたと降ってきて、寒さと恐怖でブルブル震えながらしゃがみこんでいました。まもなく西の空が明るくなって、雲の向こうに太陽の光を見たときには「私たち助かったんだ」と思いました。それから、作業着の人たちに隣のビルに渡してもらい建物の中で一夜を過ごすことが出来ました。落ち着いてから、家族に無事の知らせをしなきゃと思い、未送信メールを送ってたら送れたんですね。嬉しかった。会社にも送ってみましたが残念ながら送れませんでした。無事の知らせができずご心配をお掛けして申し訳なく思っております。特に支店長は朝まで会社で待ってたとのことで、十中八九津波に遭ったと思ったことでしょう。夜遅くに、会社の人が途中に車を置いて歩いて来たとの事「とてもこの世のこととは思えない光景だった」と言っていました。ラジオをつけくれてのですが、明日の天気と気温と夜明けは何時だとそればっかりのような気がします。悲惨な光景は何一つ伝えてなかったと思います。私たちみたいにじっと夜明けを待っている人たちの配慮だったんだと思います。


翌朝、営業車の状態を確認しようと、走って来た道を歩き出しましたが水が滝のように流れていて行けなくって、向かいの道が通れると思い振り返ると営業車を発見、感激しました。津波の前からそこに停車していたのではと思えるような状態でした。もしかして、カバンが取れるかと思い近づきましたが、そこはお堀をめぐらしたように、ビシャビシャでした。濡れたくなくってもう何にも入らないと思い、まずはお客さんの家まだ歩きだしました。45号線を道の両端には車がぐちゃぐちゃで、建物も空っぽ箱だけって感じで、三陸自動車道までずっと続いていました。凄まじい勢いで津波が襲ったんだなと思い怖かったです。お客さんが入れてくれたコーヒー美味しかったなー、不思議なことにお腹すかなかったです。寒いからとコート着ていきなさいって貸してくれて、お金も貸してくれました。一文無しって本当に心細いもんなんですね。今の私に出来ることは無事に自宅へ帰ること思いもくもくと歩きました。何にも考えられなかったですね。幸いにも亡くなった人も見かけなかったし、痛い思いも冷たい思いもしなかったので、津波に追いかけられる夢は見ませんが、波を見ると怖いです。今は海には近づきたくないです。 


地震非難訓練は幾度と無く経験しましたが、津波がどんなものか考えたこともなかったです。これから、どんな災難に遭うかもしれません。「我が身は我が身で守る」が鉄則だと思いました。


幸運が幾重にも重なって、今日こうして皆さんとお会いすることが出来ました。有難うございます。


H・23・8・3  庄子 きよ子

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こちらこそ、ありがとうと言いたいです。